FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「松陰先生の令妹を訪ふ」其の一

録り溜めていたNHK大河ドラマ「八重の桜」を見ようとしましたら、松陰先生の回(四話)が抜けていました。全く大失敗です。
松陰先生の活躍が見れなかったのは残念ですが、大河や歴史小説など所詮は脚色の加えられた作り話ですから、何とかしてもう一度見ようとは思っていません。ただの「参考」です。

そこで、今回は松陰先生の実話を取り上げようと思います。
先生の松下村塾でのご活躍などは皆さんの承知するところですが、普段の生活模様はあまり知られていないのではと思います。

4569800025.jpg


引用は皇学館大学教授松浦光修先生の著書『【新約】留魂録 吉田松陰の「生死観」』です。
さらにその出典は雑誌(明治四十一年)『日本及日本人』「臨時増刊 吉田松陰号」の「松陰先生の令妹を訪ふ」です。これは松陰先生の妹「児玉千代(のち芳、芳子)」へのインタビュー記事です。明治期の難しい原文ではなく松浦先生による注約のものです。

引用ですので、全て読みたい方は松浦先生の著書を購入されることをお勧めします。
メインの「留魂録」の解説も読むことができます。
やはり酒やタバコや女遊びは、するものではありません。

引用はじめ

『【兄・梅太郎と兄・松陰】

私の兄の松陰は、幼いころから「遊び」ということを、まるで知らないような子供でした。
同じ年ごろの子供たちと一緒になって、凧をあげるとか、コマを回すとか……そんな遊びに夢中になったことなど、まったくありません。
いつも、机に向かって漢籍を読んでいるか、筆を執っているかで、それ以外の姿は、あまり思い浮かびません。
それでは、せめて運動とか、散歩とか、そんなことぐらいはしていたのか……と申しますと、それも、きわめてまれで……、少なくとも私の記憶に残っているものはありません。

学問の方ですが、とくに「寺子屋」とか「手習い場」とか、そういうとことろには通っていません。
ただ、父(杉百合之助)とか、叔父(玉木文之進)について、学んでいただけです。
ある時期には、昼も夜も、叔父のところに通って教えを受けていました。
叔父の家は、わずか数百歩くらいしか離れていなかったので、三度の食事の時には、家に帰ってくるのが、ふつうでした。

そのころ、長男の梅太郎(民治)と、松陰は、見るものがうらやましくなるほどに、仲のよい兄弟で、家を出るのもいっしょ……帰るのもいっしょ……というぐあいで、寝るときは一つの布団に入りますし、食事の時は、一つのお膳で食べておりました。
たまに別のお膳で食事を出すと、わざわざ、一つのお膳に並べかえていたほど、仲がよかったのです。

影が形に添うように……と申しましょうか、松陰は、梅太郎に、よくしたがい、梅太郎の言いつけに逆らうようなことなど、一度もありませんでした。
梅太郎は、松陰より二歳上で、私は、松陰より、二歳下です。
そういうことで、年があまり離れていないせいでしょうか……、兄弟のなかでも、私たち三人は、とくに仲がよかったのです。
松陰も亡くなる前は、三人がたがいに語り合い、励まし合った少年のころの思い出を、よく手紙に書いてくれたものでした。


【嗜好品はなく、女性も知らず】

兄は、好んで酒を飲むということはなく、タバコも吸わず、いたって真面目な人でした。
松下村塾を主宰していたときのことです。
ある日、門人のなかにタバコを吸う方がいたので、それを注意して、「キセルをもっている者は、全員、それを私の前に出しなさい」と言い、それをコヨリで結んでつなぎ、天井からつるしていたことがあります。

もとより酒は口にしません。
それでは、甘いものはどうか、たとえば餅などを好むなどということはなかったのか……ということですが、私には、よくわかりません。
特別に“これが好きだった”というものをあげてほしい、と言われても、何も思い浮かびません。
兄は、いつも大食することを、自分で戒めていました。
ですから、今の人たちのように、特別に「食後の運動」などを心がけなくても、胃を害したり、腸を痛めたりするようなことは、ありませんでした。

ご存じの通り、兄の人生は、わずか三十年です。
短いと言えば、たしかに短い人生なのですが、三十歳といえば、そのころの世間一般からすれば、妻をむかえ、家庭をもつべき年齢でした。
けれども、兄は、青年になってから、ずっと全国各地を旅してまわっていましたし、国にいる時は、お咎めを受けた身の上で、家で謹慎するよう申しつけられておりましたから、妻をもつという話など、どこからも出てくるはずがありません。
それでも、親戚のなかには、「罪人という身の上だから、表向きは、たしかに妻を娶るわけにはいかないが、せめて身の回りの世話をする女性ぐらいは、近づけてはどうか」などと言ってくる者もいたようです。

親切心から、そう言ってくださったものと思いますが、それは、兄の心のうちを知らない人の言葉ですから、家族の者で、そのことを兄に、面と向かって言った者など、だれもいません。
兄は、生涯、女性と関係をもつことはありませんでした。』

引用おわり

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。