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竹島一件(想古録)

「想古録」の中の一説、江戸時代における竹島一件の記述です。

「儒者不学にして、竹島を朝鮮に取らる」

常憲公(五代将軍綱吉)のとき、日本の漁船、竹島に渡り、同島近海にて漁猟しけるに、朝鮮人と争闘を開き、数名を殺傷せられたり、此事葛藤の種となりて、終に竹島所属の争ひとなりけるに、我よりは彼方にて、貴国の竹島は我蔚繚島なりと云ひしを廉に取り、貴国の竹島と云ふ以上は、其島の日本の属地たること分明なりと云募りしに、彼方にて、其れは言辞の誤りなれば取消すと為し、何なりとも確実なる証拠を示すべしと云ひ来れり、然るに当時の掛り儒官は林鳳岡にて、其調査充分ならざりければ、「日本書紀」に竹島のこと出で、又「三国志倭国伝」にも、又「梁書」にも竹島の事出で居るを気附かず、別に証拠は無しと答へしかば、彼よりは「輿地勝覧」を引きて、其の朝鮮所属なるを証し、竟に我が曲と為るに至れり、寔に惜むべく、憾むべきことと謂ふべし」

(想古録より)


現代語訳は頓智堂主人さんのブログ「歴史小話或は鶏肋雑記」へ。
この一話だけでなく、大変勉強になる想古録の内容を現代語訳し、ブログにて公開されています。林羅山、頼山陽、大塩平八郎、大岡忠相、青木昆陽など様々な人物が出てきます。

上記は、我が国が竹島と呼んでいた現在の鬱陵島(蔚繚島)の領有権を放棄したという記録ですね。

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我が国は鬱陵島を鮮人に譲ったのであって、現在の竹島は我が国のものです。
外務省によると、鮮人は竹島の領有権主張の一つに、全く関係のない上記の内容を利用しているようです。
それは、密漁をしていて日本人に捕まった安龍福という犯罪者の「日本から鬱陵島と竹島の領有権を放棄する旨の文書を預かったが、奪われてしまった」などという馬鹿げた妄言です。詳しくは下記の外務省の引用を見て下さい。
自国の法を破り無断渡航と密漁をしていた犯罪者の妄言を聞き入れ、しかも顕彰までするとは。
鮮人は本当に恥を知らない民族だと言えます。

以下は、外務省による竹島一件の記述です。

【いわゆる「竹島一件」】
1.幕府より鬱陵島への渡海を公認された米子の大谷・村川両家は、約70年にわたり、他から妨げられることなく独占的に事業を行っていました。

2.1692年、村川家が鬱陵島におもむくと、多数の朝鮮人が鬱陵島において漁採に従事しているのに遭遇しました。また、翌年には、今度は大谷家が同じく多数の朝鮮人と遭遇したことから、安龍福(アン・ヨンボク)、朴於屯(パク・オドゥン)の2名を日本に連れ帰ることとしました。なお、この頃の朝鮮王朝は、同国民の鬱陵島への渡航を禁じていました。

3.状況を承知した幕府の命を受けた対馬藩(江戸時代、対朝鮮外交・貿易の窓口であった。)は、安と朴の両名を朝鮮に送還するとともに、朝鮮に対し、同国漁民の鬱陵島への渡海禁制を要求する交渉を開始しました。しかし、この交渉は、鬱陵島の帰属をめぐって意見が対立し合意を得るにいたりませんでした。

4.対馬藩より交渉決裂の報告を受けた幕府は、1696年1月、「鬱陵島には我が国の人間が定住しているわけでもなく、同島までの距離から見ても朝鮮領であると判断される。無用の小島をめぐって隣国との好を失うのは得策ではない。鬱陵島を奪ったわけではないので、ただ渡海を禁じればよい」と朝鮮との友好関係を尊重して、日本人の鬱陵島への渡海を禁止することを決定し、これを朝鮮側に伝えるよう対馬藩に命じました。
 この鬱陵島の帰属をめぐる交渉の経緯は、一般に「竹島一件」と称されています。

5.その一方で、竹島への渡航は禁止されませんでした。このことからも、当時から、我が国が竹島を自国の領土だと考えていたことは明らかです。

【安龍福の供述とその疑問点】
1.幕府が鬱陵島への渡航を禁じる決定をした後、安龍福は再び我が国に渡来しました。この後、再び朝鮮に送還された安龍福は、鬱陵島への渡航の禁制を犯した者として朝鮮の役人に取り調べを受けますが、この際の安の供述は、現在の韓国による竹島の領有権の主張の根拠の1つとして引用されることになります。

2.韓国側の文献によれば、安龍福は、来日した際、鬱陵島及び竹島を朝鮮領とする旨の書契を江戸幕府から得たものの、対馬の藩主がその書契を奪い取ったと供述したとされています。しかし、日本側の文献によれば、安龍福が1693年と1696年に来日した等の記録はありますが、韓国側が主張するような書契を安龍福に与えたという記録はありません。

3.さらに、韓国側の文献によれば、安龍福は、1696年の来日の際に鬱陵島に多数の日本人がいた旨述べたとされています。しかし、この来日は、幕府が鬱陵島への渡航を禁じる決定をした後のことであり、当時、大谷・村川両家はいずれも同島に渡航していませんでした。


4.安龍福に関する韓国側文献の記述は、同人が、国禁を犯して国外に渡航し、その帰国後に取調を受けた際の供述によったものです。その供述には、上記に限らず事実に見合わないものが数多く見られますが、それらが、韓国側により竹島の領有権の根拠の1つとして引用されてきています。
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高杉晋作から学ぶもの(書籍)

私の職場で知り合った方から頂いたものです。

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わずか、80ページの書籍です。

その方とは東行庵(高杉晋作墓所)へも旅行に行った経緯があるため、この東行の書籍は感慨深いものがあります。

女性ですが志があり、野村望東尼などの女性勤王家を彷彿とさせる方でした。
その様な方と出会えたことを、皇大御神に感謝してやみません。
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